手付かずだったコルトレーン...

このお薦めの中で、ジャズも結構薦めているのだが、ジョン・コルトレーンは取り上げたことがないと思う。
ビッグな人ではチャーリー・パーカーもない。
チャーリー・パーカーは聴いたことがないから。
ジョン・コルトレーンは苦手だからである。

マイルズ・デイヴィスは大好きだ。
セロニアス・モンクも大好きだ。
コルトレーンはこの二人と、それぞれ競演したことがある。というか、マイルズに育てられたような人なのだ。

たとえば、「マイルストーンズ」。たとえば、「カインド・オブ・ブルー」。
どちらもマイルズとコルトレーンが競演した名盤、といわれている。
どちらも好きだ。
だけど、コルトレーンのソロの部分だけをとりだして聴くと、あまりいいと思わない。
まぁ、音楽なんてそうやって粗を探すような物ではないから、全体としての流れがよければよしなのだが、敢えて重箱の隅的に聴くと、コルトレーンのソロは自分にとってはピンと来ないものなのだ。
なんか音数が多い割には焦点がぼけているようで。
比べるのはナニだが、同時期にマイルズのバンドに参加していた、アルトサックスのキャノンボール・アダレイの演奏の方がずっと好きだ。
おおらかで、暖かい音がストレートに伝わってくる。

だが。
超有名というのを差し引いても、やっぱりひっかかるものがあるのだ。
今の僕には理解できなくても「凄そうな何か」が潜んでいそうな気がするのだ。

そしてつい先日「アフリカ/ブラス」というアルバムを聴いた。

よかったですよ。
これは。
マイルズのバンドにいた頃の、訳分からない早吹き(っていうのかな?)が少なくなり、なんか叫ぶようなトーンになっている。
やっている形式ではなく、音に向かう心持ちがブルーズなのだな、と感じさせる音。
自由な感じと悲しい感じが混沌と混ざっているような。

顕微鏡で血液を見ると、赤血球だの白血球だのがぶにゅぶにゅ血液のなかで動いているのが見える。
なんか、そういう血液レベルでの叫び、のような気がした。大袈裟かな?

何か深いものがありそうだよ。

以前読んだ本で、漫画家のしり上がり寿さんが「ジャズはいいよな。がんばれ、とかなんとか余計なこと言わないで、ただ音が『ぷー』とか『どん』とか鳴っているだけだ。でも、その中には『なにか』があるんだよなぁ。」
なんか、言葉のない音楽の本質をついている気がする。

今まで手つかずだった、コルトレーンとパーカー。
ここらで聴いてみようかな。
また、あらたにずぶずぶとはまってしまうのかな。
ま、それもよし。