今日は映画で〜ミスター・ルーキー

あまり、ビデオで映画を見るのは好きではないのだが、久々にに見たビデオでの映画「ミスタールーキー」
映画館での上映の時、気になっていたのだが、見に行く余裕もなく、気がついたらロードショウも終わってしまっていたのだ。
もう3年位前の映画だけれど。


長島一茂主演、タイガーマスクを被った謎の覆面投手「ミスタールーキー」が阪神タイガースに入団して大活躍、と、主演者とストーリーの出だしだけでも、「ださ」と思ってしまう人もいるかもしれない。

ところがどっこい。

結構いいのだ。面白いのだ。
元々野球もの、にはちと点が甘いのでそこを割り引いて考えても、なお面白い。

ストーリーについてはお約束として語らない。
「失われた夢の復活」を描いた映画だ。そしてそれは復活、というところに留まらず新たな夢を生み出しながら転がっていく。戦っていく。

根が浪花節なワシは弱いのだ、そういうのに。


一度は捨てた夢に不安を抱えながらも、そしてともすれば衰えつつある気力と体力にむち打って、トライし続ける。
格好いいじゃないか。
もちろんその過程はかっこよくなんかない。泥臭くていじましい。
でもそこは、そういうヘビーな場面は普通に生きていても、「必ず」やってくるのだ。
そこを乗り越えるのか、乗り越えられないのか。いやそれ以前に、戦うのか、逃げるのか。


なぜ、今の僕が野球にこんなに入れ込むのか、こうして振り返ると分かる気がする。


小学生の頃、僕は野球が大好きだった。見る方もやる方も。
地域の少年野球チームに入り、一生懸命やっていた。
チームはやや弱い方。僕はそんなチームの中ではまぁまぁ上手い方だった。(けしていちばんではない)
中学にあがったとき、部活動というのがあるが、そこでは野球部を選ばなかった。
野球部は大人気で、入部者も多く、また運動部にありがちなしごきの噂なども聞いていたので、僕はハナから投げてしまったのだ。「これじゃ、レギュラーなんてなれっこない」
今のオレなら、当時の自分に言うよ。
小学校から中学へ入りたての奴同士、上手いっていってもたかがしれてる。好きならやってみなよって。

ところがあまりのライバルの多さに恐れをなした僕は、戦わずして自ら道を閉ざしたのである。

僕は陸上部に入り、そこそこ楽しくやっていた。もちろん自分なりにがんばっていたと思う。3年間続けたのだから、そこから逃げたわけでもない。もちろん当時は野球をあきらめたことに、わだかまりも悔いもなかったし、逃げたとも思っていなかった。


だが、それは今思うと結構尾を引いていたのだ。そう、今だから思うのだけれど。


その後の人生、僕は結構、要所要所で「逃げて」きた。
「オレは今まで逃げたことがない」などと胸を張っていう人を見ると、ほんとに眩しい。目がくらんで倒れてしまいそうである。
逃げることにはいろいろな弊害があるのだが、(そしてもちろん逃げざるを得ないときもあるし、負けることを体得するという点もあるのだが)一番分かり易く、かつ、後々実害を伴って現れるのは、「逃げ癖がつく」ことだ。

ある程度大事なポイントで、物心ついてからでは、最初の「逃げた」である。野球部を選ばなかったのは。

野球に関しては見るのはともかく、「自分でやる」に関してはもう道はさほどない。
もちろん楽しみでやる分には、「地域の草野球チームに入る」などという手段はあると思う。
そこで無理のない範囲で楽しみながらやればいいのだ。
でも、それは多分しないと思う。
そこまで時間とエネルギーをさく気は今のところない。


今、僕にとって大事なのは、音楽だ。
演奏することと、作曲すること。それを形として残すこと。
本当に大事なことだ。
これは一生続けられると思う。
逃げないし、逃げる必要もない。
42年生きてきて、音楽を始めてからでも26年たって、やっとそこまで思える今は、しあわせなのだろう。
持っているエネルギーをすべて注入だ。


横浜スタジアム神宮球場デイゲームを見に行く。
球場の階段を上がり、芝と、練習をしている選手を見ただけで、涙ぐみそうになるときがある。その正体はこれだったのだ。確実に終わってしまっていて、もう二度と戻れないことを知っていたからなのだ。
野球は僕にとっては、「完全に終わった夢」だ。

野球の場では、僕は本格的に勝負を賭ける前に「引退」してしまった。
音楽も半端なところで、一度リタイヤしている。
でも帰ってきた。
誰に言われたわけでも、望まれたわけでもないのに帰ってきた。


今、音楽はとても楽しい。絶好調だ。
引退、はないぜ。はっはっは。