荒涼としたオザケンもまたよし

僕は朝、CDをタイマーでセットしておいて、それを目覚ましのベルがわりに聴いて起きる。
この2ヶ月くらい、とりあえず、朝は日本のものを聴いて起きる、というのが習慣になってしまった。
一度、目覚まし用にセットされたCDは大抵一週間くらいはそのままなのだが、(何せ毎日取り替えるのは面倒だ)今週は小澤健二の「犬は吠えるがキャラバンは進む」をセットして置いた。

で、今朝なにげなくジャケットを見て愕然とした。
製作年1993年。
ファンの人なら、驚くまでもなく当たり前じゃん、と思うだろうが、僕の中では「つい4〜5年前」のような感覚がずっとあったのだ。
もう13年も前とは。
まぁ、年をとったいい証拠である。はは。

フリッパーズ・ギター、というユニットは、そのセンスや才能は認めつつも好きではなかった。
「ふん、気取りやがって。」である。理由は。
なんかしらんが、ハナについたのだ。
だが解散後の第一作に入っている「天気読み」がラジオから流れてきたときは、耳が釘付けになった。
ごつごつのサウンドとヘタッピな歌。フリッパーズからかけ離れた、なにか荒涼とした感じ。
うむ。これはカッコいい。

これは、今聴いてもぜんぜん古くない気がするよ。
この荒涼/殺伐の二歩手前くらいの感じは、常に時代の底にうごめいているのかもしれない。
見事に1993年を切り取っていて、なおかつ古びない。
かっこいい。

そう思える、思ってもらえるものを、僕も作りたいな。