ジャズ・来るべき人〜オーネット・コールマン

オーネット・コールマンの「ジャズ・来るべきもの」
いわゆるフリージャズの始まりがこのアルバムらしいが、今の耳で聞くと、かなりきちんとしたフォーマットに乗っ取ってやっているように聞こえる。「好き勝手」という意味でのフリーには全然聞こえない。
といって、もちろん、がちがちなことをやっているわけではない。
フリー、という言葉を知っているからそういう先入観で聞いてしまうのかもしれないが、すごく自由にやっているな、とは思う。


今年の3月の来日公演も見た。

なんだか、「森の音楽隊」とでも言うべき趣があった。
シリアスなのだけれど、力んでいない。
どこかひょうきんだ。

ジャズ、とはある意味、その始まりからして、「フリー」なる要素を内包している音楽でもある。
フリー=自由。
よい響きではないか。
でも、音楽自体がフリーってどういうことなのだろう?
ましてや形式化してしまったフリーって何?

彼のライブ演奏は瑞々しかった。
確かに好き勝手やっているように聞こえるけれど、そこには確実な意志と緩やかな目に見えない規則性がちゃんと働いているように聞こえた。
そして音の佇まいは「森の楽団」である。

オーネットのスーツがまたかっこよかった。
ジャケットにもスラックスにも金色の刺繍が、いくつも入っている。ド派手なスーツだ。今年76才のじーさんが着るスーツとは思えない。ファンキーとはこういうことを言うのだろうと思った。

アルトサックスの音色が伸びやかで、とてもよい。
全然枯れていない。元気いっぱいである。
でも、バリバリ、というより、なめらかな元気の良さだ。
闊達、というやつだろう。
このじーさん、楽しんでやっているよな、というのが見ていても、音を聴いてもよく伝わってくる。

オーネットくらいのポジションにいる人ならば、もっと大御所然としていても誰も文句は言わないだろう。
でもそういうところは微塵もなく、時々にやりとしながらサックスを吹く。力の抜けた、でも枯れていないなめらかな音で。

ジョアン・ジルベルトのライブを見た時も思ったけれど、生きている喜びや音を出す喜びが、そのまま音になっているような人だ。ミュージシャンである以上、かくありたい。
僕もそうなりたい。
こういう人を見ているだけで、こちらも幸せになる。
元気になる、というか、負けていられない、こういうじーさんに。

フリージャズはよく分からないけれど、オーネットが伸びやかで素晴らしい、というのはよく分かった。

好き勝手にやるために、この人もそれなりの代償も払っただろうし、また自分を色々な意味で磨いたのだろう。
生きることが音楽そのものだ。
音楽する、とは生きることだ。

アルバムの話に戻ると。

フリーだのなんだのと、呼び名とか形式はどうでもイイや。
良い音楽です。
和音の重ね方が多分普通ではないのだろう。
くすぐられるような妙なコード感、いたずら心を感じさせるメロディとリズム。
なんか粋なんだな。
そして「新しいジャズを切り開く」という意気込みも強かったのだろうが、すごく楽しんでやっているのも伝わってくる。
だから開放感があるんだな。
いいよ。とっても。