リトル・フィートは煮込み系音楽

リトル・フィートの「ディキシー・チキン」。

タイトル曲は、何かのオムニバスに入っていて聴いたことがあった。
ただ、そのオムニバス自体が、ディキシーチキン以外は大したことがなく、売ってしまったので、記憶の中でなんとなく、「ディキシー・チキン」っていい曲だったよなぁ、というおぼろげな記憶しかなく、でも、なんだか急に聴きたくなってアルバムを買ったのだ。

いい。
これは大人の味わいでしょう。ガキにはわからん。っつーか、ガキがこういうのを聴いて「いいじゃん」などとうなずいていてはいてはいけない。もっともこれを作ったときのローウェル・ジョージだって多分20代後半くらいだったのだから、何だけど。
滋味と渋みと。
なんか、これは料理で言ったら、煮込み系である。
さっと炒めた良さ、とか、鮮度のいい刺身のおいしさではない。とろとろ煮込んだずっしりと深い味わいだ。

ローウェル・ジョージはかなりのヤク中で、このアルバムの頃もかなりラリラリだったらしいけれど、でもこの、繊細さと豪放さが溶け合ったアルバムを聴くと、「そうかもな」と思わないでもない。味わい深いけれど、業の深い音でもあるのだ。

でも、普通に流して聴いているときは、僕だってそんなことは考えない。暖かく包まれるような感じで、ほっこりほこほこしている。

ちょっと疲れた夜とかに、暖かくて美味しいものを食べた後に聴いたりすると、サイコーだな。
大人っす。
いいです。
リトル・フィート